私の夢の一つに「本の出版」があります。
それに向けて、執筆を始めます。
ご興味のある方は読み進めて下さい。
はじめに。
私は1986年。
1月8日生まれ。
高崎市新町出身。
自宅で鍼灸・マッサージの仕事をしている目が不自由な両親の元に長男として生まれました。
辛い様子でご来院された患者様が笑顔で帰宅する様子をみて育ち、将来は自分も鍼灸・マッサージで開業し、悩んでいる人を笑顔にする夢や目標を持って生きて来ました。
父親は鬼石町、母親は太田の出身です。
父親は生まれつき片目が潰れており「牛眼」という状態でした。
普通、目玉は丸いものですが、私の父親の目玉はレモンのように楕円形で飛び出していたそうです。
父親が胎児の時、私からすれば祖母に当たる人ですが、母親が風邪薬を飲んだ影響で、恐らくそれが原因で目が大変な状態になってしまった疑いがあるようです。
私の父親の辛うじて見えていた片側の目も50代の歳、やはり潰れてしまい激痛に耐えきれず手の施しのようない状態で摘出されました。
私の父親の目は、両眼とも義眼です。
父親は群大で手術を受けた後、目元のガーゼから血の涙を流していました。
一方、母親は生まれつき眼球の癌の疑いがあって生後間も無く片目を摘出されましたが、それは医療ミスでした。
そして、私からすると祖父に当たる人、母親の父親は「網膜色素変性症」という目の難病でした。
祖父、義理の兄、母、私。
この難病は遺伝性が強く進行性な為、私たちは少しずつ視力が削られて失明しました。
ここまでの話だと、絶望的ですよね?
しかし、ですね。
父親は視覚障害者と健常者がマラソンで「心のバリアフリー」を目指す活動を20年以上、続け、母親からは一度も弱音を聞いたことはありませんでした。
私が「勇気や希望」を与えられたことは、言うまでもありませんね。
母方の祖父は、いわゆるレジェンド級の人物で、群馬県鍼灸師会の会長を歴任した他、数々の功績を残して叙勲を与えられるほどでした。
父方の祖父は鬼石の工務店の専務で一級建築士として鬼石町を中心にゴルフ場や学校など大きな仕事も手がけていたそうです。
ただ糖尿病や脳梗塞、癌にも随分と苦しみました。
「苦難福門」
運命は自ら招き、境遇は自ら作る。
私も「人を笑顔にする生き方」をやってやって、やり抜きます。