私にとって、生きていくことや仕事ができることは当然ではありません。
当たり前のことではないんです。
弱視と言って辛うじて目が見えている程度の良心に育てられた私も遺伝的に弱視で、それなりの生活をしてきました。
私は学生時代からいじめられることもあれば優しくしてもらえることもあったし、交通事故や留年。
会社員時代は恫喝やパワハラに合い周りの社員と同じように仕事ができないことが理由で賞与をカットされることもありました。
理不尽ですが、それが現実でした。
自分を変えないと、いつまでもこの繰り返しだと考えました。
認められるまで、努力しないといけないんですね。
それは一生続くのだとわかった時、運命は自ら招き境遇は自ら作る覚悟がつきました。
両親も目の病状が悪くなり失明しましたが、それでも私をここまで育ててくれました。
ある日、目が不自由で何が大変だったか尋ねました。
父親は2度も眼球の摘出手術を受けて血の涙を流し、母親はしぬ覚悟をしなければ子育てできなかったと笑いながら話します。
二人は鍼灸マッサージの仕事をする一方で、健常者と視覚障害者がロープで繋がる伴走マラソンチームを群馬で結成し20年以上も続けてきました。
両親の生き方にどれだけ私が勇気づけられたか?
語り尽くすことはできません。
私は、親からいただいたこの命を心や身体に痛い辛いを抱えている人のために使うことを決めて、いま鍼灸・マッサージの仕事をしています。
治すのが難しい症状もあって、どれだけ魔法が使えたらよいかと思い自分の未熟さを感じることは多々あるので、諦めずに努力を怠りません。
この手で人を笑顔にし続けることが自分を愛して育ててくれた両親の恩返しになると思うし、今まで自分が経験した辛く悔しい過去を乗り越え続ける原動力になっています。
そして何より「人の喜びが我が喜び」です。
これからも私は、心や身体に痛い辛いを抱えている人に近い立場で人生そのものを応援する仕事をして生きます。